調律して拍手喝采

6月梅雨の最中、宮城県登米市の東日本大震災被災者宅にアップライトピアノ寄付の為に仲間たちと行って来ました。6月末の週末は、予想通りの雨。早朝出発で運転手は、もう数年で60歳になる元ラリードライバー。神奈川は、小雨ではありましたが東北自動車道に入りだんだんと雨足も激しくなり、高速道路の各所で水溜りや視界不良。そんな中元ラリードライバーの運転する車は、飛ばしに飛ばして捕まる事もなく事故に会う事もなく全く危なげなく昼には、仙台に到着。彼は、「牛タン食べるために飛ばしたんだから・・・」と言って仙台で有名な牛タン屋さんで昼食をとった。牛タンなんぞ焼肉屋さんでしか食べないがやはり本場、美味しい!行列が出来る牛タン屋・・・流石!と満足して仙台市内の様子を散策して被災地域を少し車で回った後に松島の宿にチェックイン。

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仙台、松島と観光客も多く各地宿泊施設は、大方満室状態。特に山間の秋保温泉の高級旅館などは梅雨にも関わらず予約は、取れなかった。しかし、今回宿泊した松島は、津波の被害も少なかった事に助けられてさすがに絶景でこの眺めを見ながら気の合う仲間と入る露天風呂は、生涯忘れられない良き思い出となった。ただ、あの3.11のテレビでしか見た事が無い大津波がこの地域に押し寄せた事実を思い返すと想像を遥かに超える事態にその想像すらも覚束無い自分が苛まれる。翌朝の松島観光船では、大勢の観光客で賑わい、その目の当たりする絶景が復興の旗印と感じられた。

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いよいよ、お昼過ぎにピアノが搬入されるので登米市に向かう。震災被害で運休している気仙沼線沿いの集落。何とものどかな田園風景。時折緑の田園の中に赤い田んぼが?大型の農機具が?ラリードライバーが「あれは、小麦だね。随分小麦にシフトしている所があるね~」と彼は、元農家で横浜の大地主、今は植木の卸業を営む社長さん、彼が居なかったら赤い所が何なのか、あの大きな農機具は何なのかすら分からなかった。持つべき物は、異業種の友人だな・・・。

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東北一の赤い鳥居のあるお寺で奥の細道第八番礼所柳津虚空蔵尊の杉田史さんは、この地域で被災された方々のお世話をされている方で今回のピアノ寄付のお話も彼女の働きで我らの仲間「横浜のピアノ運送アクティブリーズ」が中心となり話が実現した。運送会社の従業員も進んで休みを返上して同行してくれた。その働きを見て社員教育が行き届いた将来性のある会社だなとつくづく感心させられた事と仲間の若社長のリーダーシップに感銘し嬉しくなった。

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まず、セレモニーとして我ら仲間の横浜元町の霧笛楼の社長からお菓子のお土産を渡す。神奈川県では、有名なフランス料理の名店霧笛楼ですが、宮城県では残念ながら・・・。

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ピアノは、年式の浅い新品同様のKAWAI。出荷前に僕が全て調律、整調、点検をしていますが、長旅でトラックに揺られているので調律を始める。すると皆さん中々ピアノの内部は、見た経験が無いらしく興味深々。調律が終わると皆さんより拍手喝采!僕も30年以上この仕事をしていますが、調律して拍手してもらった経験は初めてでビックリでした!調律が終えて「本物の音を広めたい」音楽の素晴らしさのお話をすると皆さんの目が輝き、改めて拍手を貰い、その光景が瞼に焼き付いた。この地に縁をもたらして頂いた事に感謝すると共に良き仲間に恵まれた事に喜びを感じた2日間でした。最後に杉田史さん曰く「震災直後は、被災者の皆さんは、みんな顔が灰色だったんです。人は、あまりに大きなショックを経験すると青ざめるを超えて灰色になるんですよ。やっと今皆さん普通になりました。」想像を超える話にショックを受けて、ピアノというハードの寄付と演奏というソフトの両方を考えて今後も少しでもお役に立てる様に・・・と仲間と反省会という名の飲み会を開催する約束をして帰路に。帰りもラリードライバーが延々と安全に飛ばしに飛ばして無事鎌倉に到着。松島のお土産とその出来事を家族に話すと女房がバッサリと「あなた達は、松島の宴会が目的だったみたいだね!」と「そんな事は無いだろ・・拍手が・・喝采が・・」としどろもどろなって撃沈されて早々に床についた。