思わず背筋の伸びた出来事!

仕事に追われて慌ただしく過ごしているともう10月も終わろうとしている。緊急事態宣言も解除され飲食店もようやく通常営業?感染者数があまりにも激減して本当かなぁ~(笑)?コロナとの闘いもこう永くなるとちょっと懐疑的になるが、眞子様もご結婚されたし順調に感染者数も減って世の中明るい方向に進んで行っているので、どうにかこの調子で終息する事を願うばかりです。さて今回は、背筋が伸びちゃったお話を手短に書き記したいと思います。

歌手でありピアノ講師でもあるお客様より電話が入る。「古いアップライトピアノが実家の別荘にあるんです。それを実家に運んで使えるように調律して頂けます?」と言って住所などを知らせて頂いた。早速、運送を手配をして長野県から運ぶ手筈があっという間に整ったが相当古いピアノという事と別荘に置いてあったと聞くと調律師なら当然虫食いの被害が頭をよぎる!しかし先生曰く「実家の母が遊びで弾くだけなので弾ければいいわ(笑)!」だったがちょっと心配だったので長野県から取引先運送会社に入庫した時点でピアノを見に行った。昭和33年製作のYAMAHA U2だった。湿気の影響で機械の動かない所が数カ所あって音はかなり下がっているが張りの有る良い音はしている。幸いな事に虫食いは、全く無く安心した。このピアノを何か手を加えるとすると途端に色々と交換したくなっちゃうので先生の言いつけを思い出して何にもしないでこのままお届けする事にした。

そうこうしながら並行して建設会社の友人から「リフォームしたお客様宅に永年放置しているピアノが有るので調律頼むよ!」と電話が入った。「お~良いよ!と二つ返事で引き受けた!」すると「物凄く腕の良い調律師て言ってあるから宜しくな(笑)!」と「だったら調律代物凄く高くても良いのか(笑)?」と言うと「そこは、友達だから物凄く安くだろ~(笑)(笑)!まぁ~全て任せっから頼むね~!」といつもの軽い会話で仕事を請け負った。連絡を取ってお伺いすると大変珍しいピアノで大橋ピアノだった。長年放置されて音は大層に狂っているが3本ペダルのそんなに古いピアノでは無かった。鍵盤蓋を開けると「OHHASHI」!お~大橋盤岩さんのOHHASHIピアノだ!と調律師ならだれでも思うだろう。早速調律を始める為に準備をするとピアノ内部のフレーム(鉄骨)に大橋盤岩と刻まれている。この大橋盤岩さんとは、日本のピアノ業界の発展に大きく貢献されてヤマハのピアノ製作の礎を築いた名工です。ヤマハピアノが大量生産に方向転換して行くことに反発し理想のピアノ作りを目指して自ら会社を興してディアパソンPIANOを設計販売した。その後ディアパソンは、河合楽器に吸収されてそれを期に大橋ピアノ研究所を設立し、ご自身の名前のピアノを製作販売した。手間を惜しまずに厳選した素材で職人の手作りによる採算を度外視した大橋盤岩氏の理想のピアノが今回の「OHHASHI」ピアノです。たしか4500台余りの生産台数だったと思います。私は、あの大橋盤岩さんのピアノだと思いピアノに敬意を払って真摯に調律を済ませた。年式の新しさから2代目大橋巌さんの頃のピアノですがとっても丁寧に作られたピアノだった。調律中にピアノ内部をよくよく観察すると細かい部品まで面取りされたベヒシュタインの様な神経の行き届いた惚れ惚れするピアノだった。調律後ピアノを弾いてすっかり良い音を響かせてお客様に「いや~良いピアノですね!ピアノがいらなくなったら直ぐに電話してください。僕が引き取りに来ますから(笑)!」と言うと「息子が使うって言ってるわ!」とけんもほろろに断られた!

長野からのピアノが無事に運送されたので早速調律にお伺いした。我々にとっては、一番馴染みのあるYAMAHAのピアノ。昭和33年製造ですから今から63年前に製造されたピアノです。外観も細部に渡ってかなり手の込んだ作りで最新のピアノでは、到底考えられない手間が掛かっている。長年放置されているので「随分くるってるなぁ~!」と心でつぶやいて調律記録を見てみると納入調律(納品して最初の調律)の欄に辻文明 と書いてあった。思わず背筋が伸びた。もう一度よくよく見てみると昭和33年10月9日 A441Hz 辻 文明 と書き記してあった。この辻文明氏とは、ヤマハが日本が世界的に誇る調律師の代表的な人物。余る才能と技術を開花させてでドイツ・ハンブルグ勤務を経て帰国後にYAMAHA CFⅢを世に出した。業界人では、言わずと知れた名工テクニシャンで調律師の神様的存在。あのピアニスト内田光子さんの調律をした事でも有名な日本が世界に誇るコンサートテクニシャン。昭和33年頃は、辻さんもアップライトピアノの納調に行っていたんだと思うと不思議な感覚に包まれて技術談義をする辻さんの声が頭の中をよぎった。ふと我に返りこの調律記録カードの大先輩の文字が私ににらみを利かしているかのように緊張しながら真摯にピアノに向かった10月の出来事でした。