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チコちゃんに叱られる!に出たピアノ。

令和3年も早大晦日!昨年に続きコロナ禍で大変な一年ではありましたが弊社もどうにか一年過ごす事が出来ました。これも支えて下さる皆様のお陰だと心より感謝しているところでございます。緊急事態宣言が解除された途端に仕事の依頼の電話が鳴り響いて特に今年の12月は、仕事に追われて大忙しでした。遅れに遅れているお客様への対応も年内に納める事が出来ずに来年へ繰り越してしまうとい体たらくな有様でお待ち頂いている定期調律のお客様、大変申し訳ございません。頑張っておりますのでもう少々お待ちくださいます様、切にお願い申し上げる次第でございます。さて、令和3年の最後は、手短に12月の様子を記事にしたいと思います。

NHKのテレビで「チコちゃんに叱られる」という番組がある。お笑い芸人ナイティナインの岡村さんがレギュラー回答者でやたら頭の大きい人形のチコちゃんが普段当たり前の様に目にしたり深く考えずにやり過ごしている事を問題にして出題する。ゲストがトンチンカンな答えをするとチコちゃんに「ぼ~と生きてんじゃね~よ!」と叱られて正解のVTRに進むといった段取りでゲストが直ぐに正解を口にすると「つまんね~奴だなぁ~!」とチコちゃんに叱られてどの道チコちゃんに叱られるという番組である(笑)?その「チコちゃんに叱られる」の11月19日20日放送の中で「ねぇねぇ~岡村~どうしてピアノって黒いの?」と問題が出された。そのVTRで使用するピアノを塗装するシーンを撮影するので折角だからと3年がかりで木工修理をしている私が所有するフルコンサートピアノを引っ張り出して撮影が行われた。当日の放送では何とたったの3秒。大きいピアノなのか小さいピアノなのか、はてさて何のピアノを塗ってるのか?期待が大きすぎたのか?余りの短さに番組制作とは、こうしたものなのかぁ~と改めて世の中の仕組みを勉強させられた(笑)。

どうしてピアノて黒いの?の答えは、昔、ヨーロッパのピアノは、黒では無くて木目の美しさをそのまま際立たせた豪華な木目仕上げでした。しかし日本の気候は、湿度が高い為に木目仕上げが適さずに日本古来の伝統技術うるしを塗る事で黒い豪華なピアノが完成しました。日本がピアノ製造を開始して海外にも輸出をするのに木目仕上げのピアノは、一台一台綺麗な木目合わせて手間が掛かりコストも上がる。海外輸出の大量生産には、木目仕上げは不向きで木目を塗りつぶした黒いピアノが主流となって行きました。日本の大量生産が黒いピアノを世界に広めたという訳です。塗料は、うるしからカシューやラッカー・ポリウレタンやポリエステルとどんどん進化して今ではいろんな色のオシャレなピアノがありますが未だに黒いピアノが主流である事は皆様も良くご存じな事です。

さて、チコちゃんに叱られるに出たフルコンサートピアノについてですが、かれこれ3年前に私の高校時代のピアノの恩師から電話で「そろそろ私もお店仕舞いをして色々と整理をするに当たってあのピアノだけが気掛かりであなたに託したいと思っているんだけど」と告げられた。ピアノは、ドイツのベヒシュタインのフルコンサートピアノで選定の折に世界的に有名なピアニスト宮沢明子さんが直筆でサインをしたピアノです。長さ275㎝家庭用のピアノより更に1メートル長いグランドピアノ2台分の大きさのコンサートホールで使用するピアノです。正直な所、弊社でも持て余すので一瞬躊躇したが恩師のあなたに託すとの言葉に快く応じた。恩師のピアノは、日本の湿気にやられてピアノを支える頑強な脚は、割れてしまって塗装板も剥がれてしまっている。本体の各所にも長年の使用と湿気による亀裂が入っていた。外国製のピアノではよくある事ですが物が大きく重たいので木工修理は、誰でも出来る訳では無く熟練の技を持つ腕の立つ信頼できる技術者に託した。それから早3年、催促に催促を繰り返してようやく木工修理が終えたが私の注文が多すぎたのか塗装が全く進まない。そんな時にチコちゃんの撮影の話が持ち上がったので一気に仕上がった訳です(笑)!チコちゃんのお陰です。木工修理・響板塗装・鉄骨塗装・本体全塗装が3年の月日を掛けて仕上がって12月中旬に倉庫に運び入れました。まぁ~何でしょう!正に正当な本物の存在感。そのオーラが格の違いを感じさせる。弦やアクションの修理はこれからですがピアノが早く早くと僕にアピールしている。何だかとっても嬉しい。早く仕上げて先生に見せて聞かせたいなぁ~弾かせたいなぁ~と心から思う。

しかしこの12月の忙しい時に11月からずれ込んだ鍵盤修理が2台同日に入って来た。急ぎ修理と言えどもどちらも通常の規格のピアノじゃないので寸法を測って慎重に取り掛かる。木部の割れもかなりあるので木工修理をしながら88鍵352枚のフェルトを綺麗に剥がして木部を整えて新たに352枚のフェルトを正確に貼り着けるという地味で根気と時間の掛かる作業を2台作業部屋で同時進行して仕上げた。コンサートやピアノ発表会もようやく開催されて来たのでその仕事もこなしながら今度は、グランドピアノのアクション修理。これは、ピアノ講師がレッスン冬休みの間に修理して欲しいとの注文。12月のクリスマス明けからピアノ教室がお休みで当然弊社もお正月はお休みなんですけど(笑)!そんなこんなで来年約束の日にお届け出来なくなっちゃうと大変なので出来る所まで暮れギリギリまで作業に没頭しておりました。後は、ホームページの記事のアップを終えれば今年のお仕事は全ておしまいです。本年もこのホームページを通じて新たな出会いが沢山ありました。読んで頂きまして心より感謝申し上げます。また、来年もここで皆様と通じ合えたらと願っております。そしてコロナウィルスが完全終息して普通の生活が戻って来ます様に心より願いまして年末のご挨拶とさせて頂きます。

 

 

 

 

 

思わず背筋の伸びた出来事!

仕事に追われて慌ただしく過ごしているともう10月も終わろうとしている。緊急事態宣言も解除され飲食店もようやく通常営業?感染者数があまりにも激減して本当かなぁ~(笑)?コロナとの闘いもこう永くなるとちょっと懐疑的になるが、眞子様もご結婚されたし順調に感染者数も減って世の中明るい方向に進んで行っているので、どうにかこの調子で終息する事を願うばかりです。さて今回は、背筋が伸びちゃったお話を手短に書き記したいと思います。

歌手でありピアノ講師でもあるお客様より電話が入る。「古いアップライトピアノが実家の別荘にあるんです。それを実家に運んで使えるように調律して頂けます?」と言って住所などを知らせて頂いた。早速、運送を手配をして長野県から運ぶ手筈があっという間に整ったが相当古いピアノという事と別荘に置いてあったと聞くと調律師なら当然虫食いの被害が頭をよぎる!しかし先生曰く「実家の母が遊びで弾くだけなので弾ければいいわ(笑)!」だったがちょっと心配だったので長野県から取引先運送会社に入庫した時点でピアノを見に行った。昭和33年製作のYAMAHA U2だった。湿気の影響で機械の動かない所が数カ所あって音はかなり下がっているが張りの有る良い音はしている。幸いな事に虫食いは、全く無く安心した。このピアノを何か手を加えるとすると途端に色々と交換したくなっちゃうので先生の言いつけを思い出して何にもしないでこのままお届けする事にした。

そうこうしながら並行して建設会社の友人から「リフォームしたお客様宅に永年放置しているピアノが有るので調律頼むよ!」と電話が入った。「お~良いよ!と二つ返事で引き受けた!」すると「物凄く腕の良い調律師て言ってあるから宜しくな(笑)!」と「だったら調律代物凄く高くても良いのか(笑)?」と言うと「そこは、友達だから物凄く安くだろ~(笑)(笑)!まぁ~全て任せっから頼むね~!」といつもの軽い会話で仕事を請け負った。連絡を取ってお伺いすると大変珍しいピアノで大橋ピアノだった。長年放置されて音は大層に狂っているが3本ペダルのそんなに古いピアノでは無かった。鍵盤蓋を開けると「OHHASHI」!お~大橋盤岩さんのOHHASHIピアノだ!と調律師ならだれでも思うだろう。早速調律を始める為に準備をするとピアノ内部のフレーム(鉄骨)に大橋盤岩と刻まれている。この大橋盤岩さんとは、日本のピアノ業界の発展に大きく貢献されてヤマハのピアノ製作の礎を築いた名工です。ヤマハピアノが大量生産に方向転換して行くことに反発し理想のピアノ作りを目指して自ら会社を興してディアパソンPIANOを設計販売した。その後ディアパソンは、河合楽器に吸収されてそれを期に大橋ピアノ研究所を設立し、ご自身の名前のピアノを製作販売した。手間を惜しまずに厳選した素材で職人の手作りによる採算を度外視した大橋盤岩氏の理想のピアノが今回の「OHHASHI」ピアノです。たしか4500台余りの生産台数だったと思います。私は、あの大橋盤岩さんのピアノだと思いピアノに敬意を払って真摯に調律を済ませた。年式の新しさから2代目大橋巌さんの頃のピアノですがとっても丁寧に作られたピアノだった。調律中にピアノ内部をよくよく観察すると細かい部品まで面取りされたベヒシュタインの様な神経の行き届いた惚れ惚れするピアノだった。調律後ピアノを弾いてすっかり良い音を響かせてお客様に「いや~良いピアノですね!ピアノがいらなくなったら直ぐに電話してください。僕が引き取りに来ますから(笑)!」と言うと「息子が使うって言ってるわ!」とけんもほろろに断られた!

長野からのピアノが無事に運送されたので早速調律にお伺いした。我々にとっては、一番馴染みのあるYAMAHAのピアノ。昭和33年製造ですから今から63年前に製造されたピアノです。外観も細部に渡ってかなり手の込んだ作りで最新のピアノでは、到底考えられない手間が掛かっている。長年放置されているので「随分くるってるなぁ~!」と心でつぶやいて調律記録を見てみると納入調律(納品して最初の調律)の欄に辻文明 と書いてあった。思わず背筋が伸びた。もう一度よくよく見てみると昭和33年10月9日 A441Hz 辻 文明 と書き記してあった。この辻文明氏とは、ヤマハが日本が世界的に誇る調律師の代表的な人物。余る才能と技術を開花させてでドイツ・ハンブルグ勤務を経て帰国後にYAMAHA CFⅢを世に出した。業界人では、言わずと知れた名工テクニシャンで調律師の神様的存在。あのピアニスト内田光子さんの調律をした事でも有名な日本が世界に誇るコンサートテクニシャン。昭和33年頃は、辻さんもアップライトピアノの納調に行っていたんだと思うと不思議な感覚に包まれて技術談義をする辻さんの声が頭の中をよぎった。ふと我に返りこの調律記録カードの大先輩の文字が私ににらみを利かしているかのように緊張しながら真摯にピアノに向かった10月の出来事でした。